はじめに:「閃光のハサウェイ」が描き続ける“その先”
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、宇宙世紀という長大な時間軸の中でも、とりわけ人間の内面に深く踏み込む物語である。
一年戦争、グリプス戦役、シャアの反乱――数多の戦争と思想の衝突を経た宇宙世紀105年。そこに描かれるのは、英雄でも救世主でもない、傷を抱えた一人の若者の選択だ。
本作は、2021年公開の『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』に続く劇場三部作の中編にあたり、物語としては「破」に相当する位置づけとなる。
しかし、その内容は単なる“中継ぎ”ではない。むしろ本作こそが、ハサウェイ・ノアという人物の精神構造、矛盾、そして逃れられない運命を最も濃密に描き切る作品と言っていい。
ニュータイプとは何か。
分かり合うとはどういうことか。
正義は、人を救うのか、それとも縛るのか。
富野由悠季が長年描き続けてきた問いが、本作ではこれ以上ないほど残酷かつ誠実に突きつけられる。
🎬 映画情報
- 作品名:機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女
- 公開日:2026年1月30日
- 監督:村瀬修功
- 原作:富野由悠季/矢立肇
- 脚本:むとうやすゆき
主なキャスト
- ハサウェイ・ノア:小野賢章
- ギギ・アンダルシア:上田麗奈
- ケネス・スレッグ:諏訪部順一
- レーン・エイム:斉藤壮馬
- ガウマン・ノビル:津田健次郎
- エメラルダ・ズービン:石川由依
- ハンドリー・ヨクサン:山寺宏一
- ブライト・ノア:成田剣
- ミライ・ノア:新井里美
(ほか多数)
あらすじ
youtube ガンダムチャンネル より引用
宇宙世紀105年。
地球連邦政府の腐敗と圧政に対抗するため、政府高官暗殺という過激な手段を取る反地球連邦組織「マフティー」。
そのリーダー、マフティー・ナビーユ・エリンの正体は、かつてアムロ・レイと共に一年戦争を戦った英雄ブライト・ノアの息子、ハサウェイ・ノアだった。
不思議な直感と洞察力を持つ少女、ギギ・アンダルシア。
マフティーを追う連邦軍大佐、ケネス・スレッグ。
三者はそれぞれの立場と想いを抱えながら、ホンコンを舞台に交錯していく。
ハサウェイは、自らの正義を信じ、過去の罪を背負いながら前へ進もうとする。
だがその歩みは、ニュータイプとしての感受性、抑えきれない欲望、そして消えないトラウマによって、常に引き裂かれていく。
\映画「閃光のハサウェイ キルケ―の魔女」公式ホームページも是非参照ください/
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』公式サイト
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感想:分かり合えないと知りながら、それでも求めてしまう人間の業
1.ニュータイプとしての苦悩――二重のトラウマ
本作を理解するために不可欠なのが、ハサウェイが抱える二つのトラウマである。
一つ目は、UC0093――シャアの反乱におけるクェス・パラヤとの邂逅だ。
ハサウェイは純粋なニュータイプであるクェスと出会い、精神交感の入口に立った。
言葉を超え、肉体を超え、心と心が触れ合う可能性を、彼は確かに感じてしまった。
しかし、その“高み”には到達できなかった。
クェスと分かり合えなかったこと。
それは、ハサウェイの中に憧憬と挫折、そして渇望を同時に植え付ける。
彼は無意識のうちに理解している。
人と人が本当に分かり合うためには、言葉や行為では足りない。
ニュータイプ的な精神交感こそが必要なのだと。
だからこそ現在の自分――
肉欲に揺れ、言葉での意思疎通すらままならない自分を、彼は強く嫌悪している。
二つ目のトラウマは、チェーン・アギ殺害の罪である。
怒りと喪失に任せ、取り返しのつかない行為に及んでしまった事実。
その罪は、時間が経っても消えない。
この罪を抱えて生きるためには、正当化が必要になる。
だからこそハサウェイは、マフティーとして戦う。
「腐った地球連邦政府を壊すために必要だった」
そう思わなければ、自分を保てない。
だがニュータイプ素養を持つがゆえに、
そのやり方が“間違っている”可能性にも、彼自身が気づいてしまっている。
正しいと信じたい行為と、正しくないと感じてしまう感覚。
その自己矛盾こそが、ハサウェイという人物の地獄である。
2.ギギ・アンダルシアという存在――情熱と孤独の化身
ギギ・アンダルシアは、一見すると謎めいた少女だ。
愛人という立場、年老いたパトロン、達観した物言い。
しかし彼女の人生を辿ると、そこには早く老いを知ってしまった若者の姿がある。
ファーザーコンプレックス。
それはギギ自身も自覚し、自虐的に語る要素だ。
この点が、ハサウェイにとってはクェスの影と重なって見えてしまう。
だが決定的に違うのは、ギギがニュータイプ的精神交感を望まないという点だ。
彼女は確かに未来予知に近い洞察力を持つ。
それはニュータイプ能力と呼んでも差し支えない。
しかし彼女の行動原理は、精神交感ではなく情熱にある。
愛する人と常に一緒にいられない人生。
一人でいることに慣れ、寂しさを無視する術を身につけてしまった結果、
若者特有の燃え上がる感情を、彼女はどこかに置き去りにしてきた。
本作で描かれるギギは、
ケネスやハサウェイとの関わりの中で、忘れていた情熱を少しずつ取り戻していく。
それは肉欲的で、極めて人間的な行為であり、
ニュータイプ的な“純化された交感”とは正反対のものだ。
だからこそハサウェイは、彼女に惹かれ、同時に困惑する。
彼が求める高みを、彼女は求めていない。
3.ギギ、ケネス、ハサウェイ――交わらない三角関係
本作の人間関係は、極めてシンプルで、極めて残酷だ。
ギギにとってケネスは、
ファーザーコンプレックスを満たす存在であり、情熱の対象ではない。
一方でハサウェイは、
情熱を向けるべき相手でありながら、
ニュータイプ的な交感を押し付けられても困る存在でもある。
ケネスとハサウェイは、
互いに相手を理解し、認め合いながらも、決して受け入れることはできない。
この関係性は、アムロ・シャア・ララァの構図を明確にトレースしている。
仮に分かり合えたとしても、
想いや執着が違えば、争いは避けられない。
それが、富野ガンダムの一貫した世界観だ。
4.富野由悠季の想い―分かり合えなくても、歩みは止まらない
『閃光のハサウェイ』は、
富野由悠季によるUC0093の正統な精神的続編である。
ニュータイプ論は、常に変化してきた。
希望として描かれた時代もあれば、幻想として否定された時代もある。
本作が突きつけるのは、「分かり合うことの難しさ」と
「たとえ分かり合えたとしても、争いは消えない」という現実だ。
人は完全に他者と同一化することはできない。
滅ぼさずに完全に分かり合うことも、まだできない。
それでも――
それでも人は、歩みを止めることはできない。
ハサウェイの物語は、
その痛みと矛盾を、真正面から描き続ける。
総まとめ|これは“答え”ではなく、“問い”の映画である
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、
爽快なカタルシスを与える映画ではない。
むしろ、観終わった後に重たい問いを残す映画だ。
正義とは何か。
分かり合うとはどういうことか。
過去の罪と、どう向き合えばいいのか。
ハサウェイは、間違っているかもしれない。
しかし、彼が抱える苦悩は、あまりにも人間的だ。
本作は、ガンダムという巨大な物語が、
いまだに「人間」を描き続けていることを証明する一作である。
※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

