映画紹介

『盤上の向日葵』映画レビュー|―“盤上”にだけ射し込む希望。天才が歩いた光と闇

アイキャッチ_盤上の向日葵

はじめに:将棋盤の黒と白、その狭間に咲く一輪の花

2025年10月31日公開の映画『盤上の向日葵』は、柚月裕子の同名ベストセラーを『ユリゴコロ』『隣人X』の熊澤尚人監督が映画化したヒューマン・ミステリー。

主演に坂口健太郎、伝説の真剣師に渡辺謙。昭和から平成にまたがる時間のうねりと、将棋という静の競技の“凶暴なまでの熱”を同時に抱え込んだ、胸の奥がじわじわ灼けるような一本です。

山中で見つかった白骨遺体、現場に残された“この世に7組しかない”希少な将棋駒、そして彗星のごとく現れた天才棋士――物語はミステリーの装いで始まり、最後は人間の生き様に着地します。宣伝文句どおり“心震える慟哭のヒューマンミステリー”に偽りなし!

🎬 映画情報

  • 監督・脚本:熊澤尚人
  • 原作:柚月裕子『盤上の向日葵』
  • 主演/キャスト:
     上条桂介:坂口健太郎
     東明重慶:渡辺謙
     奈津子:土屋太鳳
     石破剛志:佐々木蔵之介
     佐野直也:高杉真宙
     上条庸一:音尾琢真
    柄本明(役柄は作中で重要な位置を占める真剣師)/ほか、小日向文世、木村多江、渡辺いっけい、尾上右近 など

あらすじ

youtube 松竹チャンネル 公式チャンネルより引用

山中で身元不明の白骨死体が発見される。遺体のそばには、現存7組とされる貴重な将棋駒一式。その持ち主は、将棋界の寵児・上条桂介であることが判明する。

捜査線上には、賭け将棋の世界で圧倒的実力を誇った裏社会の男――東明重慶の名が浮かび上がる。警察の視線が“過去”へ潜っていくにつれ、天才が抱えてきた生い立ち、虐げられた少年時代、そして“盤上”だけに差し込んだ救いの光が、少しずつ輪郭を帯びていく。

事件を追う刑事たちの視点と、桂介の“記憶の回廊”が交互に編まれ、最後に一枚の真実へと収束する。

\映画「盤上の向日葵」公式ホームページも是非参照ください/
映画『盤上の向日葵』公式サイト|10月31日劇場公開


感想

向日葵=希望。盤上にだけ残った“母のひかり”

まず何よりも、本作のタイトルが美しい。向日葵は希望の象徴だ。
主人公・桂介にとって、最初の希望は“母”。彼の網膜に焼き付いて離れないのは、夏の匂いと、風に揺れる向日葵畑の黄金色。母の不在とともに、彼の世界は音を失い、残されたのは“毒親”と呼ぶほかない義父の暴。幼少期の傷が、大人になった桂介の呼吸や眼差しの奥に澱のように沈殿しているのが、画面からビリビリ伝わる。

それでも彼は生き延びた。将棋を指すことだけが、唯一の希望であり、自分という存在の輪郭だったからだ。盤上でのみ“世界と正しく接続される”感覚――それは学校でも家庭でも得られない、生の確かさだ。絶望に膝を折り、自死に手を伸ばしかけた瞬間でさえ、桂介は盤面の駒に指先を伸ばす。母のいた向日葵畑が、“盤上の向日葵”へと置き換わる瞬間。将棋盤=生の居場所であり、駒音=心音。タイトルはまさに彼の生命線を描写する。

坂口健太郎の演技は、声を荒げない。けれど、駒を打つ右手が語る。ひと呼吸おいてからの“パチン”という打音に、笑わない口元に、氷の底に溜まった熱の揺らぎに、観客は彼の体温を読み取っていく。ミステリーの形で外周は進むが、内側ではずっとひとりの人間が“生きる”という一手を探している。メディア各紙が「慟哭のヒューマンミステリー」と謳うのも納得だ。

師は“真剣師”――アウトローの熱と、表の道の祈り

桂介の憧れであり、道を示した存在が真剣師・東明重慶だ。彼はプロではない。命を賭す“裏”の将棋に生きる男だ。盤上に漂う緊張の質が違う。勝てば金が、生きる手綱が手に入る。負ければ地獄へ落ちる。

桂介は、その“ひりつく緊張”に魅せられる。生い立ちからすれば、裏の匂いに親和性があるのは自然だ。だが彼は最後にプロ=“表の道”を選ぶ。ここに本作の痛いほどの真心がある。東明は、口では突き放しながらも、心の底では――“表へ還れ”と祈っている。劇中の台詞や“葬ってほしい場所”の告白は、その回帰願望を照らして余りある。

裏で磨いた技術と胆力を、表の頂点で試す。かつて羨望した“光”の世界で、暗い井戸の底から拾い上げてきた自分の将棋がどこまで通用するのか。桂介の進路は“恩に報いる一手”でもあり、自らの尊厳を賭けた一手でもある。

渡辺謙の体温を抑えた眼差しは、この矛盾だらけの愛情――アウトローの掟と父性の間に引き裂かれた不器用なやさしさ――を濁りなく映し出す。

事件の“謎”より、人生の“答え”へ

白骨遺体、希少駒、天才棋士という最高に強い謎の三点セットで走り出す物語は、捜査線が過去をえぐるほど、ジャンルの輪郭を静かに変えていく。手に汗握るミステリーの推進力は保ったまま、答えの照準は“人間”へと移動していくのだ。

刑事の視線は“真相”を求め、観客の視線は“救い”を求める。盤上は勝ち負けがはっきりつく残酷な世界だが、人の人生には判定のない時間が延々と続く。桂介が握る駒は、母の記憶、師の願い、そして自分の尊厳だ。勝ち上がることが免罪符ではない。勝ってもなお、背中に貼り付く影は剥がれない。

それでも、一手を指す。彼は盤上で、“諦念”に対して“希望”をぶつけ続ける。その姿が、観客の胸の中心部を焼く。謎の解明に快楽があるのは確かだ。けれど本作は、解けない何か(喪失)と生き続ける力を描いた映画として記憶される。


総評:盤上にだけ咲く向日葵。その光で、生を選ぶ

『盤上の向日葵』は、ミステリーの衣をまといながら、人が生きるための“一手”を探す映画だ。向日葵は母の象徴であり、希望の象徴。けれど本作の向日葵は畑ではなく、盤上に咲く。畑が失われた者のために、世界のどこかに“代わりの太陽”が必要なのだ。桂介にとって、それが将棋だった。

師はアウトローで、世界は不公平で、過去はやり直せない。そんな当たり前の地獄を、一手ずつ、まっすぐ刺していく。この映画の余韻は長い。劇場を出ても、耳の奥で駒音が鳴る。生きていくことを、やめないための音として。

現実世界を生きる人にとっても、何かに苦しんでいる時に、自身の希望、ひかりとなるものを見つける手掛かりになるかもしれない。


こんな人におすすめ

  • 人間ドラマ×ミステリーの“二層構造”をしっかり味わいたい
  • “真剣師”という裏側の将棋観に惹かれる
  • 観た後に心のどこかがあたたかく、しかしヒリつく作品を求めている
  • 坂口健太郎、渡辺謙、佐々木蔵之介、土屋太鳳らの静かな熱を浴びたい
  • 将棋を知らなくても“駒音”で泣ける人

※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

ABOUT ME
msz006a21
昭和53年生まれ大阪出身。45歳で婚活開始し、24歳年下女性と結婚を前提に交際しています。その他、仕事についても20年以上務めた会社を退職、新たに士業への転身を行いチャレンジを続けています。同輩にとって益のある最新情報をお届けすべく、日々奮闘中です。趣味は映画と旅行。
RELATED POST