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『ひゃくえむ。』映画レビュー|──10秒に宿る命、100メートルに刻む誇りと狂気

映画「ひゃくえむ。」アイキャッチ

はじめに

100メートル──わずか10秒にも満たないその距離。それはスプリンターにとって、人生をかける舞台であり、光速のように過ぎ去る瞬間である。

2025年9月19日公開の劇場アニメ『ひゃくえむ。』は、「その短さ」にすべてを賭けた男たちのドラマだ。原作者・魚豊の連載デビュー作が、アニメ映画として結実。

監督は、アニメ界で評価を集める岩井澤健治、脚本はむとうやすゆきが務める。主演には松坂桃李、染谷将太という俳優陣が演じ、才能と努力、挫折と矛盾、友情と憎悪、記録と誇りが濃密に交錯する。

──走ることだけが、生きる意味と感じられた日々。
──勝利の代償として、見失った理想。
──しかし、再び向き合う相手、小宮とトガシ。
この映画は、走るという行為を通じて、観客にも問いを投げかける。「君は、何に、どこまで走れるか」。

『ひゃくえむ。』は、ただのスポーツものではない。生きることを走らせる哲学的な寓話でもある。

🎬 映画情報

  • 原作:魚豊(講談社「マガジンポケット」連載)
  • 監督:岩井澤健治
  • 脚本:むとうやすゆき
  • 主要キャスト(声優):
    トガシ:松坂桃李、小宮:染谷将太、仁神:笠間淳、浅草:高橋李依、椎名:田中有紀トガシ(小学生):種﨑敦美、小宮(小学生)、樺木:内田雄馬、財津:内山昂輝
    海棠:津田健次郎、沼野:榎木淳弥、経田:石谷春貴、森川:石橋陽彩、
    尾道:杉田智和
  • 主題歌:Official 髭男 d ism 「らしさ」

あらすじ

youtube Asmic Ace チャンネルより引用

生まれつき足が速く、「友達」も「居場所」も当たり前のように手にしてきたトガシ。
その彼の前に、小宮という転校生が現れる。小宮は、人間関係や家庭の問題を抱え、現実から逃れるためにひたすら走ることにのめり込んでいた。

トガシは、小宮に“速く走る方法”を教える。放課後、二人で練習を重ねる中で、小宮は記録を追うようになり、二人は次第にライバルでありながら、互いの存在が不可欠な“同志”になっていく。

時代は移り、高校・社会人へ。天才ランナーとして注目されるトガシには、「勝ち続けなければならない」プレッシャーがのしかかる。一方、小宮もまた、己の限界を超えようと苦闘する。やがて、小宮はトガシの前に、かつての弟子を越える競技者として再び立ちはだかる──。

\映画「ひゃくえむ。」の公式ホームページも是非参照ください/
映画『ひゃくえむ。』公式サイト | 9月19日(金)全国公開


物語の考察

① 100メートル ― 能力も意志も一秒の差で決まる舞台

100m走は、たった10秒弱の競技であり、ほんの僅かな差で明暗を分ける。そしてその勝敗が天と地を分ける。人生の長さから比べると刹那とも言えるこの一瞬間に、選手たちの極厚な焦燥と苦悩を浮かび上がらせる。

主人公の一人であるトガシは、劇中冒頭から、その才能でトップランナーの実力を見せつける。一方で小宮は、日常の煩わしいことから逃げるためだけに、ただ日々走っていたが、トガシと出会うことで、誰よりも早く100mを走ることでそうした迷いは晴れる事を知る。

ここでトガシと小宮にとって、100m走はただの競技ではなく、“人生の分岐点”であり、人生そのものになったと言える。

② “走ること”の迷いと苦悩

同じ走ることについても、主人公のトガシと小宮は全くベクトルの異なる迷いや苦悩に苦しむことになる。一方は勝ち続けることの苦しさ。才能だけでは片付かない孤独。そしてもう一方は記録を追う焦燥、怪我・年齢・劣化への恐怖。

そしていつしか立場は逆転し、トガシは負け続ける現実や怪我などに絶望し、小宮は勝ち続けることに虚しさに苦しむ。それでも、彼らは走り続ける事を選ぶ。

それは、彼らにとって走ることに意味があるからだと、観客は気付く。彼らを自分に置き換えて感情移入した時に、共感できる何かを思い出すからだ。

③ 走る意味とは何か?

本作が描くのは単なる競技の物語ではない。走ることを通じて、「自身は何者であるか」を問い続ける自己との対話を見せつける。「走ること」はどこまでいっても自分自身に由来する。

劇中の彼らは「誰よりも速く走ること」=アイデンティティであり、誇りであることに気付く。走ること自体が自身の一部であり、あるは全部なのかもしれない。

そして、観客が彼らと共感するのは、”走ること”に限られず、人はそれぞれ、自身を定義する、自己確立の根拠となるものを持っているからである。劇中の彼らは、たまたま「誰より早く走る」ことが自己を定義する人間の物語であったというだけのことなのだ。


感想

『ひゃくえむ。』を観て感じたのは、スポーツを越えて人間の芯を揺さぶる力だ。100メートルという限られた時間に、人間の希望も絶望も全て詰め込む――その緊張感と詩情が見事に映像化されている。

映像演出も高く評価できる。疾走シーンにはロトスコープ風の描写やモーションブラーが使われ、脚の筋肉、呼吸、体の揺らぎがリアルに伝わる。作画と背景のトーンについても、淡い空気感、夕陽、風の揺れなどが“競技場外の時間”を丁寧に彩る。観客はただ速さを味わうのではなく、風景と時間の流れに身をゆだねるように没入できる。

一方で、原作と比べて高校編の改変が大胆で、キャラクター描写が省略されているという意味では、原作ファンからすると、少し残念な気分にもなるかもしれない。

それでも、物語の本質――“走ること=自己”を問い続ける姿勢と、走力だけに依らない人間ドラマの厚みは本作の強みであり、観終わった後に心が震える余韻を残す。エンドロールで流れる Official 髭男 d ism の主題歌「らしさ」は、物語と自然に重なり合い、胸に染みる。


総評

『ひゃくえむ。』は、100m走を通じて、自己のアイデンティティと誇りを構築していく人生を見ることができる映画だ。そして、10秒という短距離に凝縮されたドラマは、一見シンプルに見えるが、その背後には競争・嫉妬・虚無・覚悟・再生という重層的テーマが潜んでいる。

本作の最大の強みは、「才能型」と「努力型」という二極の主人公を通じて、勝利の意味を揺さぶる視点を提示したことだ。二人が走る関係は、対立であり共依存である。物語が進むごとに、その関係性の揺れと解釈が観客に問いを投げかける。

走る才能に恵まれた者も、そうでない者も、走ることに疑問を持つ者も。すべての人に通じるメッセージを内包した、『ひゃくえむ。』は、観る者の心を震わせる珠玉の作品と呼びたい。

※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

ABOUT ME
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昭和53年生まれ大阪出身。45歳で婚活開始し、24歳年下女性と結婚を前提に交際しています。その他、仕事についても20年以上務めた会社を退職、新たに士業への転身を行いチャレンジを続けています。同輩にとって益のある最新情報をお届けすべく、日々奮闘中です。趣味は映画と旅行。
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