映画紹介

『九龍ジェネリックロマンス』映画レビュー|愛と記憶の迷宮を描くSFラブミステリー

九龍ジェネリックロマンス劇場版のアイキャッチ

はじめに

2025年8月29日公開の映画『九龍ジェネリックロマンス』は、眉月じゅん原作の人気漫画を池田千尋監督が実写化したSFロマンス。主演の吉岡里帆、水上恒司を中心に、ノスタルジックかつミステリアスな九龍城を舞台にした切ない恋が紡がれます。Netflixアニメ化もされた本作の世界観と実写の融合は、多くの観客を惹きつけました。


🎬映画情報・概要

  • タイトル:九龍ジェネリックロマンス
  • 公開日:2025年8月29日(金)
  • 監督:池田千尋(『君は放課後インソムニア』監督)
  • 原作:眉月じゅん(『恋は雨上がりのように』)
  • 脚本:和田清人、池田千尋
  • 主題歌:Kroi「HAZE」
  • 主演:吉岡里帆(鯨井令子)、水上恒司(工藤発)
  • 共演:栁俊太郎(タオ・グエン)、梅澤美波(楊明)、フィガロ・ツェン(ユウロン)、花瀬琴音(小黒)、サヘル・ローズ、関口メンディーほか

あらすじ:忘れた過去と瓜二つの存在、九龍での再会

youtube EMOTION Label Channel より引用

かつて実在した香港のスラム「九龍城」を模した“ジェネリック九龍”が舞台。そこに暮らす不動産屋の鯨井令子(吉岡里帆)は、先輩の工藤(上恒司)に密かに想いを寄せている。記憶喪失の令子は自分の過去を知らず、ただ九龍の日常に満足していた。

ある日、喫茶店・金魚茶館で、店員のタオ・グエン(栁俊太郎)から工藤の恋人と間違われてしまう。さらに写真に写る工藤の恋人は、令子によく似ていた――過去の記憶、もう一人の自分、そしてジェネリックな都市に潜む謎が、二人の恋をゆっくりと溶かしていく。

\九龍ジェネリックロマンスの公式HPも是非参照ください/
映画『九龍ジェネリックロマンス』オフィシャルサイト


考察:『九龍ジェネリックロマンス』に込められた記憶と愛の再構築

ジェネリック九龍=クローン化された記憶の街

“ジェネリック九龍”という言葉の中には、**「記憶の複製」**というメタファーが隠されています。
かつて存在した九龍城砦を模したこの街は、過去に工藤が「令子」(すでに亡くなっている工藤の過去の恋人)と過ごした「幸福な時間」を再構成したものであり、そこには当時の光景、人々の営み、関係性すらも“再現”されているように感じられます。

そして、街にはどこか“つくりもの”の空気が漂い、そこに住む人々も、過去の幻影をなぞって、変わる事を拒絶しているかのよう。これは、過去への執着が創り出した人工的なユートピアと解釈できます。

とりわけ、主人公・鯨井令子の存在はその象徴。彼女は工藤の過去の恋人「令子」の記憶に基づいて“作られた存在”でありながら、工藤の知る「令子」とは異なる“新たな人格”を持って行動しています。つまり、九龍は「過去をなぞりたいという欲望」と「本物とは何かという問い」がせめぎ合う舞台なのです。

そして、筆者としては、ここにもう一つのテーマが垣間見えるのではと感じます。すなわち、恋人という極めて近しい関係であったとしても、人の本質を全て理解することは難しい、ということ。

工藤は、恋人の令子が亡くなった原因が、薬の誤飲(オーバードーズ)なのか、もしくは意図的な自殺だったのか、それともその他の理由によるものだったのか(持病の突然の悪化など)、真実が見つけられずにいることで、工藤自身の後悔や執着につながっている。

深く愛したが故に、心の奥底は見えずらい、不安や懐疑が、九龍に再現された「鯨井令子」に投射されていたのだと推察できます。


鯨井令子とは誰なのか?アイデンティティの二重性

本作で最も象徴的なテーマのひとつが、“自己とは何か”という問いです。
記憶を持たない鯨井令子は、工藤の失った恋人の“影”でもあります。しかし、彼女自身は誰かのコピーであることを知らず、自分を「本物の令子」だと信じている。ここに、アイデンティティの葛藤が生まれます。

観客は、彼女が“本当の人間なのか”、“コピーなのか”という問いを抱えながら彼女の生き方を見守ることになります。そして彼女自身も、自分の存在や想いが「作られたもの」ではないかという疑念と向き合いながら、“自分の意志”で工藤と向き合おうとする決意を強めていきます。

この物語は、現代に生きる私たちにとっても身近な問題、すなわち**「社会の期待に応えるための自分」と「本当の自分」との間で揺れるアイデンティティの構築」**に通じるのです。


工藤の執着と「愛」の再定義

工藤は失った「令子」を九龍に投影しています。つまり、鯨井令子(コピー)への愛情は、実のところ本当の鯨井令子を愛しているというより、「令子との記憶」に恋をしている状態とない交ぜになっている状態なのです。
これは現実でもよくある心理現象で、「過去の幸せだった時間」に執着してしまい、“今”を見つめ直せない人間の姿です。

しかし物語の中で、コピーである鯨井令子が“自分の意志”で動き出し、工藤に対して個として向き合い始めると、工藤も次第に“彼女自身”を見始めます。

これは、過去の幻影ではなく、今ここに存在する人間を再び愛するという、人間としての再生の一歩であり、本作の最も重要な感情的転換点です。


“消滅”という別れ=過去との決別

中盤から終盤にかけて、令子の存在が“長くは続かない”ことが明らかになります。これはSF的な設定に見えて、心理的な意味での「失恋」や「死別」に対するメタファーです。

「好きだった人はもういない」「でもその人と過ごした時間は嘘じゃなかった」
という感情は、多くの人が経験する普遍的な“喪失の痛み”です。そして、それを乗り越えていく過程で、過去と決別し、新たな一歩を踏み出すためには、あえてその“幻”を手放さなければならない

工藤が、鯨井令子の消滅後も「記憶だけは残っている」と信じて前を向こうとする姿勢こそ、現代的な“喪失からの再生”を象徴しています。

劇中では、九龍を出るとその存在が消えてしまうことが示されているが、鯨井令子が工藤とともに境界線を越えても数分はその存在が消えていなかった描写になっています。その後、鯨井令子は工藤の前から忽然と姿を消しますが、筆者は、やはり例に漏れず、その存在は消えてしまったと考えています。

しかし、鯨井令子と過ごした日々や、工藤自身へ向けられた愛情、そして、共に生きたいと言った覚悟は決して幻ではない。その想いこそが、工藤の新たに前を向くという“喪失からの再生”を後押した要因であったのではないでしょうか。


ラストの令子は誰なのか?

ラストシーンでは、工藤が数年後に鯨井令子と思しき人物と再会します。
これは「復活」か、「現実の令子に似た新たな人間」との出会いか。観客に委ねられたこの演出は、本作のメッセージの総仕上げでもあります。

筆者としては、このラストは“新たな愛”の始まりを示唆していると考えます。
過去への執着を手放し、記憶の幻影を超えて、今を生きる人と新たな関係を築く。
つまり、工藤は“本当の意味で、人生を再び歩き始めた”のです。


評価・総評:愛と記憶のジェネリック都市が示す、再生の希望

ポジティブな評価

  • cinematowatashiでは、ミステリー×恋愛を映像で丁寧に描いた実写ならではの魅力を賞賛。
  • 若年層レビューでは、「SF感と恋愛のバランスが新鮮」「サクサク進む設定展開に満足」などの声も。

批判的な意見

  • eiga.comでは、“構想に比して小規模すぎる恋愛奇譚”“展開の凝縮による詰め込み感”が指摘されました。
  • noteレビューでは、「異世界の違和感」「コスプレ的キャスト起用に感情移入できない」との辛口評価もありました。

総相談&まとめ

『九龍ジェネリックロマンス』は、SFと恋愛、記憶と再生のテーマが絡み合う、奥の深いラブミステリー映画です。過去の喪失感とそこからの再生、そして新しい愛を見つける人間の強さを描いた本作は、多くの人の心に響く物語といえるでしょう。

にしても、吉岡里帆さんは可愛い過ぎますね。。。

※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

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昭和53年生まれ大阪出身。45歳で婚活開始し、24歳年下女性と結婚を前提に交際しています。その他、仕事についても20年以上務めた会社を退職、新たに士業への転身を行いチャレンジを続けています。同輩にとって益のある最新情報をお届けすべく、日々奮闘中です。趣味は映画と旅行。
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