映画紹介

『俺ではない炎上』映画レビュー|──世界を変えた瞬間!ネット時代の冤罪ドラマ

アイキャッチ_俺ではない炎上

はじめに

SNSが個人の評価を瞬時に変える時代。ある日突然、あなたが「加害者」として晒されるなら――。そんな誰もが抱えてしまいそうな恐怖を鮮烈に描いたのが、2025年9月26日公開の実写映画『俺ではない炎上』だ。

監督に 山田篤宏、原作に 浅倉秋成 の同名小説を迎え、脚本は 林民夫 が手がける。主演の 阿部寛 は、かつてない“ネット炎上”の渦中に放り込まれる平凡な男・山縣泰介を熱演。芦田愛菜、藤原大祐、長尾謙杜、夏川結衣といった豪華キャストが取り囲む中で、ひとりの男の無実をめぐる逃亡劇が展開されていく。

本作は、炎上という現代的な現象を題材にしながら、ミステリーとしても緻密に構成され、観る者に“情報の真贋”“自己評価の脆さ”“他者の視線”といったテーマを強く提示する。まさに「明日は我が身」のノンストップサスペンスだ。

🎬 映画情報

  • 監督:山田篤宏
  • 原作:浅倉秋成『俺ではない炎上』(双葉社/第36回山本周五郎賞候補)
  • 脚本:林民夫
  • 主演・出演
    • 山縣泰介:阿部寛
    • サクラ:芦田愛菜
    • 住吉初羽馬:藤原大祐
    • 青江:長尾謙杜
    • その他:三宅弘城/橋本淳/板倉俊之(野井)/浜野謙太(塩見)/美保純/田島令子/夏川結衣(山縣芙由子)

あらすじ

youtube 松竹チャンネルより引用

大手ハウスメーカー勤務の営業部長・山縣泰介は、堅実にキャリアと家庭を築いてきた男だった。ある日、彼は自分のものと思われるSNSアカウントから、女子大生の遺体画像が拡散されたというニュースで“殺人犯”として名指しを受ける。身に覚えのない事態に泰介は無実を訴えるが、情報は瞬く間に広がり、「#山縣泰介犯人説」などのハッシュタグとともに彼の個人情報が晒され、日本中から追い回される存在となる。

事態を追うのは、謎めいた大学生・サクラ、インフルエンサー・初羽馬、取引先の若手社員・青江、そして泰介の妻・芙由子。彼らの思惑が絡み合い、逃亡劇は予測不能の迷宮へと転がり落ちる。泰介は逃れながら、自分を陥れた真犯人を探す旅に出る。拡散と追跡、嘘と信頼、個人と群衆。SNS炎上という皮膜の下で見え隠れするのは、誰の目にも触れない“疑念”と“裏切り”である。

\映画「俺ではない炎上」公式ホームページも是非参照ください/
『俺ではない炎上』公式サイト|大ヒット上映中!


感想

本作『俺ではない炎上』を観てまず感じたのは、「無実を着せられた者の孤立」という心理的恐怖である。主人公・泰介は、日常を淡々と送ってきた一般的な男であり、だからこそ「まさか自分が」というリアリティを観客に与える。SNSによる拡散の速さ、炎上の連鎖、無数の目が彼に向けられる状況は、言葉にできない焦燥と、逃げ場のなさを鮮明に描く。

また、物語はミステリー要素とサスペンス基調のバランスを極めて巧みに保っている。2つの時間軸が交錯し、過去の出来事と現在の逃亡劇が並行して明かされていく構造は、観客に謎解きの興奮をもたらす。これは単なる炎上ドラマにとどまらず、緻密なプロットを持つ作品として評価できる。

特に興味深かったのは、主人公・泰介の「自己評価」と、他者から見た彼の姿のギャップである。泰介は自らを清廉潔白と信じ、家族も仕事も守ってきたつもりだった。しかし、他人の視線は弱点を知る。自分が見ていなかった“裏の顔”と向き合う瞬間、観客もまた、自分の“見られている側”の姿を想像せずにはいられない。

そして、真犯人として物語を動かす人物――彼/彼女もまた「正義感の強い人間」であるが、その正義が“エゴ”によって歪んでいる。主人公だけでなく、真犯人の視点を含めて描くことで、「誰が悪か」「誰が善か」を単純に区切らない厚みが本作にある。

総評として、『俺ではない炎上』は、炎上という時代的テーマを軸にしつつ、個人と社会、観られる者と観る者、真実と虚構という二重構造を深く探った秀作である。この映画を観終わったとき、あなたはきっと「自分は見えても、見られている自分は見えない」という感覚を持つだろう。そしてそれこそが、本作の持つ問い、その核なのだ。


考察

① 見えない加害/目に見えない罪

SNSの炎上は、匿名化された群衆が誰かを加害者に仕立て上げる構造を秘める。泰介は犯人ではないにも関わらず、SNSでの情報の拡散で、瞬時に犯人とされてしまう。情報の真贋は無視され、「拡散=真実」とされる瞬間がある。この映画はその構造を暴き、「見えない加害」の恐怖を可視化している。

② 炎上という群衆の物語

炎上は個人の問題ではなく、「群衆の心理」が動かす社会現象だ。映画では、SNS上の投稿、RT(リツイート)、タグ付け、陰湿なコメント、誤情報の拡散という連鎖が描かれる。群衆がどのように偽りの「正義」を装い、誰かを追い詰めていくか――その構図は現代社会の縮図でもある。

③ 自己評価と他者評価のズレ

泰介は自分を「誠実な男」と思い込んでいたが、世間の眼差しにさらされることで、自分の見えていなかった側面が浮き彫りになる。自己のアイデンティティは、他者の評価なしには成立しない。だが他者の視線は往々にして偏っており、そこには「見られること」の暴力性がある。

④ 真犯人の正義と歪み

物語終盤で明かされる真犯人は、強い正義感を持った人物でありながら、その正義は自己肯定やエゴによって歪んでいた。これは、主人公の自己評価の脆さと鏡像の関係にある。つまり、両者ともに「自分が正しい」「自分が被害者/正義である」という錯覚を抱えており、そこに人間の怖さが宿る。

⑤ 情報時代の“明日は我が身”

映画の冒頭に掲げられたキャッチコピー「明日は我が身」には深い意味がある。SNSを使っていない人でも、誰かが炎上すれば情報は近くに飛んでくる。映画は、炎上を“他人事”ではなく、自分の問題として捉えさせることで、観客に警鐘を鳴らす。


総評

『俺ではない炎上』は、炎上を題材としながらも、単なるサスペンスや社会派ドラマに留まらない。他者に見られること/見ていること、真実と虚構、加害と被害、個人と群衆という多層的なテーマを孕みながら、エンターテインメントとしても手応えある構造を備えている。

主演・阿部寛の安定感と、芦田愛菜・藤原大祐・長尾謙杜ら若手の起用により、世代を超えた演技の噛み合いが生まれている。監督・山田篤宏が描く炎上の連鎖、逃亡の緊迫、情報の洪水、そのすべてにリアリティが宿っている。

「見られる/見ている」という現代的な恐怖と、それを通じた自己省察の機会。映画を観終えた後、私たちはスマホを手に取りながら、「もし自分だったら」と問い直してしまうだろう。

炎上に巻き込まれた男の物語は、観る者にとって、自分の「情報環境」「人間関係」「他者との距離」を省みる鏡となる。本作は、エンタメとしても、警告としても、観る価値がある一作だ。

※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

ABOUT ME
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昭和53年生まれ大阪出身。45歳で婚活開始し、24歳年下女性と結婚を前提に交際しています。その他、仕事についても20年以上務めた会社を退職、新たに士業への転身を行いチャレンジを続けています。同輩にとって益のある最新情報をお届けすべく、日々奮闘中です。趣味は映画と旅行。
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