はじめに:闇に触れた若者たちの“身分”とは何か
2025年10月24日(金)公開の映画『愚か者の身分』(監督:永田琴)は、原作:愚か者の身分(著:西尾潤/第2回大藪春彦新人賞受賞作)を映画化した、現代の若者が巻き込まれる“闇ビジネス”の画面化です。
衣食住に事欠く環境から闇の世界へ足を踏み入れた若者たちが、“戸籍売買”という犯罪に手を染め、抜け出そうともがく様を描くこの作品は、ただの犯罪劇でもなく、ただの青春映画でもなく、友情・兄弟愛・逃走という要素が交錯する“生きるか、逃げるか”の選択を迫られた青春群像です。
🎬 映画情報
- 監督:永田琴(『Little DJ 小さな恋の物語』など参加)
- 原作:西尾潤『愚か者の身分』
- 脚本:向井康介
- 主演・キャスト:
- 松本タクヤ:北村匠海
- 柿崎マモル:林裕太
- 希沙良:山下美月
- 江川春翔(谷口ゆうと):矢本悠馬
- 由衣夏:木南晴夏
- ジョージ(市岡譲治):田邊和也
- 佐藤秀人:嶺豪一
- 海塚:加治将樹
- 前田トシオ(轟):松浦祐也
- 梶谷剣士:綾野剛
あらすじ
youtube THE SEVEN 公式チャンネルより引用
舞台は現代日本。松本タクヤと柿崎マモルは、SNSで女性を装い、身寄りのない男たちから言葉巧みに個人情報を引き出し、“戸籍売買”を行う闇ビジネスに足を踏み入れていました。
彼らは過酷な環境で育ち、気づけば“組織の手先”となっていたものの、時には若者らしく馬鹿騒ぎをする普通の日常も併せ持っていました。
タクヤは、彼をこの道に誘った兄貴分的存在、梶谷剣士の影を追いながら、マモルとともに裏社会から抜け出したいと願い始めます。しかしある日、彼らの拠点である歌舞伎町で大金が消えた事件を機に、逃走劇へと巻き込まれていきます。
3日間という限られた時間の中で、タクヤ・マモル・梶谷という3人の視点が交錯し、それぞれの“身分”と“選択”が浮き彫りになります
彼らの物語は、裏社会の暴力と理不尽さを描くと同時に、血のつながりを超えた“兄弟愛”や“救い”を探すものでもあります。
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映画『愚か者の身分』公式サイト|大ヒット上映中
感想
弟の治療費のために闇へ踏み込んだタクヤ、ネグレクトで家を出たマモル――“血を超えた兄弟愛”の描写
まず強く印象に残ったのは、タクヤとマモルという二人の若者が背負った出自と、そこから生まれた“兄弟以上の絆”です。タクヤは、弟の治療費という現実的な理由から、そしてマモルは親のネグレクトという孤独から、それぞれ裏社会へと足を踏み入れてしまいます。
タクヤは、「俺が引きずり込んだんだから、抜けさせてやる」という言葉をマモルに残し、マモルを弟のように想う姿勢を見せます。この感情が、血のつながりや兄弟という枠を越えたものになっており、スクリーンを観ながら「本当の兄弟とは何だろう」と改めて問いかけられました。
一方で、マモルの“家族を知らず育った”という背景が、タクヤに依存しながらも自立したいというジレンマを抱かせ、その葛藤が画面に静かに積み重なっていきます。その描写が、単なる犯罪ドラマ以上に切なく胸を打ちます。
裏社会に参入する動機が「選択肢がなかったから」というものであるという点も、現代社会のリアルを感じさせました。二人の兄弟愛というテーマが、犯罪という陰鬱な世界を描きながらも、涙を誘います。
裏社会からの脱出の難しさ、暴力・理不尽の描写――“グロさ”と“痛み”が胸を締めつける
さらに、本作で逃れ難く描写されているのは、裏社会というものの“脱出困難さ”と、その中で広がる理不尽な暴力や搾取の構図です。タクヤもマモルも、裏社会の一員として加担していた以上、表社会に「戻る」ためには大きな代償を払わなければならないことが画面に重く響いてきました。
特に、戸籍売買、個人情報の搾取、そして逃走中の追跡や暴力シーンには、グロテスクとも言える描写がいくつかあり、観る者の覚悟を試される瞬間があるのも事実です。私自身、「ここまで描くか」という衝撃を受けながらも、目をそらせない画面が展開されていました。
それでも、この作品はただ“残酷”を見せるわけではありません。裏社会に入らざるを得なかった若者たち、そしてそこから立ち上がろうとする若者たちの“可能性”もまた、丁寧に描かれています。「戻れないわけではない」「道は閉ざされているわけではない」という希望の光も、暗い世界の中で小さく光っていました。
この“裏社会の現実”を描きつつも、救いの余白を残していた点が、本作の強さだと感じました。
演技・キャスト・世界観の完成度――“魂の競演”が生むリアリティ
主演の北村匠海は、タクヤという複雑な役どころを、言葉少なに、しかし目と身体の動きで表現し、観ている側に「この若者は何を抱えているのか」を問わせます。
林裕太は、マモルという存在を“傷つきながらも前を向こうとする少年”として演じ、その瑞々しさが印象的でした。
綾野剛も、兄貴分でありながら、裏社会に対してどこか諦めと憎しみを抱えた梶谷という役を巧みに演じ、3人の関係性が画面に“生きている”感触を与えていました。
監督・永田琴の演出は、歌舞伎町のネオン、夜の街のざわめき、無音の追跡シーンなど、「静」と「動」の振れ幅が大きく、観る者の呼吸を乱しながらも引き込んでいきます。3日間という限られた時間を、3視点で交錯させて描く構成も巧みで、「この逃走劇が他人事ではない」という感覚を強く抱きました。
世界観としても、裏社会と表社会の境界が曖昧になっていく“日常の闇”が丁寧に描かれており、観終わったあともしばらく頭の中に“歌舞伎町の闇”の残響が残りました。
印象に残るシーン
- タクヤがマモルに「抜けさせてやる」と語るシーン。裏社会でしか通じない言葉と、その言葉の裏にある“兄弟愛”の温度が重く胸に残りました。
- 逃走劇の最中、タクヤがふと弟のことを思い出し、冷めた眼差しで夜の街を見つめる瞬間。これが、彼の原動力であり、彼を追い詰めるものでもある――その矛盾が痛いほど伝わりました。
- 最終盤、梶谷・タクヤの二人が車内で交わす無言の時間。ネオンの反射と血の匂い、胸の鼓動。言葉では語られない絆が、画面の隅々に染み込んでいきました。
総評:闇を描くことが、若者を描くことになる――『愚か者の身分』の価値
『愚か者の身分』は、ただの“裏社会逃走サスペンス”ではありません。若者たちが貧困・家族の欠如・選択肢のなさから闇に飲み込まれていく現実を、脚色を抑えながら、しかし描き切った“覚悟”のある映画です。その上で、血のつながりを越えた「兄弟愛」や「人を想う心」が、暗闇の中に確かに光を差し込んでいます。
この作品を観終えたあと、私は「若者が闇から逃れたいと願うとき、それは単なる犯罪ではなく、生きることへの渇望なのだ」という思いに至りました。タクヤも、マモルも、ただ“悪いことをしていた少年”ではなく、“居場所を求める少年”だったのです。
ただし、観るにあたっては、暴力描写・グロテスクな描写・裏社会のリアルな負荷に対して覚悟が必要です。そうした点に嫌悪感を覚える方にはハードに感じられる場面もあります。
それでも、映画好きな方、社会派の映像に関心のある方、若者の生き様に胸を打たれる方には、ぜひ劇場で体験をおすすめします。
映像が終わったあともしばらく、歌舞伎町のネオンと若者たちの叫びが、あなたの頭の中に残ることでしょう。
※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

