はじめに
2025年10月17日(金)に公開された映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』は、病弱な体のためにこれまで学校にも行けず、家の中で過ごしてきた主人公が「好きな人と一緒に見ると永遠に結ばれる」と言われる6月の満月=“ストロベリームーン”をきっかけに、高校生活、恋、友情、そして限られた時間を生きる覚悟へと踏み出す物語です。
原作は、SNSでも「令和イチ泣ける」と話題になった純愛小説、ストロベリームーン(著:芥川なお)で、脚本にヒューマンドラマの名手 岡田惠和、監督に若手実力派・酒井麻衣が起用されています。
この映画は「時間が限られた少女の、濃縮された人生」と「誰かを愛すること、誰かに想われること」の奇跡を、まっすぐに描き出しています。映画館でその満月を見上げるように、ぜひご覧頂きたい作品です。
🎬 映画情報
- 監督:酒井麻衣
- 脚本:岡田惠和
- 原作:芥川なお『ストロベリームーン』
- 主演・キャスト:
- 桜井萌:當真あみ(高校1年生時)
- 佐藤日向:齋藤潤(高校1年生時)
- 佐藤日向(13年後):杉野遥亮
- 高遠麗(高校1年次):池端杏慈
- 高遠麗(13年後):中条あやみ
- 福山凛太郎(フーヤン):黒崎煌代
- 川村健二(カワケン):吉澤要人
- カワケン(13年後):伊藤健太郎
- フーヤン(13年後):泉澤祐希
- 高遠晴美:池津祥子
- 佐藤修:橋本じゅん
- 桜井美代子:田中麗奈
- 桜井康介:ユースケ・サンタマリア
あらすじ
youtube 松竹チャンネルより引用
病弱な体質のため、長らく学校にも通えず、ひとり家の中で過ごしてきた桜井萌。幼い頃からの密かな夢は、好きな人と一緒に見ると永遠に結ばれるという6月の満月「ストロベリームーン」を、自分の誕生日である6月4日に見ることでした。
15歳の冬、医師から「余命が残りわずか」であることを宣告された萌は、夢を叶えるため、「運命の相手」を見つけようと、高校進学を決意します。入学式の日、出会ってすぐ同級生の佐藤日向に「好きです」と告白し、人生初めての恋人関係が始まります。
少しずつ距離を縮めていく中、二人は萌の誕生日である6月4日に「ストロベリームーン」を見に行くことを決めます。しかし、その日を境に萌は学校から姿を消し、日向は萌と連絡が取れなくなってしまいます。
高校生活、友情、家族との時間、そして13年後――。萌の“その後”がどう描かれているのか、そして彼女の想いがどこへ届いていくのか。青春と切なさが交錯する物語が、静かに、しかし強く心に迫ってきます。
\映画「ストロベリームーン 余命半年の恋」の公式ホームページも是非参照ください/
映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』|10月17日(金)公開
感想
生きられる時間が決まっているヒロインの“濃縮された生への渇望”
まず感銘を受けたのは、ヒロイン・桜井萌の「生きられる時間が決まっている」という宣告を受けてからの、日々に対する熱量と渇望です。彼女は学校にも通えず、友達もいない孤独な時間を長く過ごしてきました。その中で、たったひとつの夢「ストロベリームーンを見ること」を胸に抱え、余命の宣告を受けたことで、その夢を叶えるために新たな世界へ一歩踏み出します。
この「限られた時間だからこそ、濃く生きる」という姿勢が、画面の隅々に光っています。當真あみ演じる萌は、顔立ちも表情も、淡く、透明感に満ちていて、いつまでも消えてしまいそうな儚さを帯びていますが、その影には揺るぎない決意があります。高校という新たな舞台へ足を踏み入れた瞬間、彼女の表情が少し変わる――それは「時間を取り戻したい」という強い渇望の表れだと感じられました。
また、「余命宣告」という重さを背負いながらも、萌が決して明るさを失わず、むしろ日々の時間を“誰かと過ごしたい”“誰かを想いたい”という前向きな感情に変えていく様子に、深く心が揺さぶられました。映画を観終えたあと、私自身も「もっと時間を大切にしたい」「今この瞬間を逃したくない」という思いに自然となっていました。
ヒロインの「未来への手紙」と、親友・恋人への真実の愛
本作でもうひとつ心に残ったのは、萌が「親友」と「恋人」への想いを、未来への手紙という形で残すシーンです。言葉にできなかった想いが手紙という媒介を通じて届く様は、静かながら強烈な感動を伴います。
親友・高遠麗(高校1年時:池端杏慈/13年後:中条あやみ)と恋人・佐藤日向に対しての萌の気持ち。彼女が持っているもの・手に入れたいもの・あきらめなければならないもの、その全部を含んだ「手紙」の存在が、物語に澱(おり)がたまっていた心の底をゆっくり溶かしていきます。
親友の麗は、萌の夢を知り、萌の時間を尊重する大切な存在です。萌にとっては「誰かを想える」ことが何よりの希望であって、麗との友情もまた、その希望の片割れでした。恋人の日向もまた、萌にとっては「自分を丸ごと想ってくれる人」であり、萌にとってはその想いが時間を超えて続いていくかもしれない希望でした。
手紙を通じて、萌はそのふたりに“ありがとう”でも“ごめんね”でもない、静かで深い“真実の愛”を伝えていく。そこに、スクリーン越しに胸を締め付けられる思いがありました。
親目線で観ても、健気で前向きな萌の姿には胸を打たれます。親として「娘の時間が短いかもしれない」と知ってしまう悲しみと、それでも娘が前を向いて生きようとする姿への誇り。その矛盾した思いが映画を通じて滲んでいて、演技・演出ともに「親として観ても泣ける」映画になっていました。
親目線でも響く、娘の時間を見守る想い
映画では、萌の家族—父・康介(ユースケ・サンタマリア)、母・美代子(田中麗奈)—の描写も印象的です。病弱な娘を見守る親の視線、その視線は時に不安で、時に希望に満ちていて、観る者に“子を想う親”の感情をリアルに届けてくれます。
萌が高校に通おうと決めた時、家族は娘が“自分の時間”を生きることを選ぶ瞬間を見守ります。その瞬間、親としての切なさ、娘としての希望、そして時間というものの重みがひとつに交差します。
作品全体に流れる「有限であるからこそ、美しい時間」というメッセージが、親子関係を描く側面でも強く感じられ、観終わったあとには、親として何気ない日常を過ごす“娘の時間”をもっと大切にしたいという思いがじんわりと残りました。
総評:限られた時間だからこそ、輝く青春の光と影
『ストロベリームーン 余命半年の恋』は、単に「青春恋愛映画」ではなく、もっと深く、「時間をどう生きるか」「誰かをどう想うか」「残りの人生をどう大切にするか」という普遍的なテーマを優しく、しかし確かに描いた作品です。
余命宣告という設定がもたらす焦燥もありながら、それに負けない萌の前向きさ、友情と恋愛を抱きながら生きる時間、そしてその時間を誰かと共有することの切なさと温かさ。これらがひとつひとつスクリーンに積み重なっていきます。
特に、主演の當真あみの透明感ある演技、脚本・岡田惠和の筆致、監督・酒井麻衣の映像センスがうまく噛み合い、映像としてもただ単純な泣かせどころではなく、「余白」にこそ感動があるということを教えてくれました。
「好きな人と満月を見る」というシーンが描くのは、単なるロマンチックな瞬間ではなく、“時間の共有=人生の共有”であり、その時間がいつ終わるか分からないからこそ、尊いということを。
この映画を観ることで、観る側にも「今この瞬間を大切にしたい」「誰かを想う時間をもっと無駄にしたくない」という思いが自然に沸き起こりました。青春映画が好きな方だけでなく、家族・友情・時間をテーマにした映画を求めている方にも、ぜひおすすめしたい一本です。
※映画紹介についての一連の記事はこちらにまとめていますので、是非一読ください。

